宮城教育大学環境教育紀要 1巻

 

地域の自然史を学ぼう:'98 エコみやぎ「大地の学校」

ネイチャリングスクール −上沼の大地のおいたち− 実践研究

 

川村 寿郎* ・豊川 秀樹** ・熊坂 昭子*** ・渡邊   優***

 

 Abstract:A long time―scale of geology and natural history should be one of the important points for students to totally see a natural environment of the local area. It also gives a basic viewpoint to understand the regional and global problems ; large―scaled and rapid change of natural environments exceeding the ordinary transitions.

 Presented here is a case of the elementary school class to study a geologic history of a local area in the northeast of Miyagi Prefecture, where various natural environments have been utilized and protected. Although the students have commonly seen their landscapes, they have unfortunately less known geology and its history of the land. The lecture and field geology class gave them a good experience to learn the long―time history as well as a good opportunity to look a wonderful and proud point of the natural environments in their own country again.

 The nature and natural history in local area should be a first step of study in the environmental education of elementary school, followed by the social and life histories of the same area in next steps. These successive studies of local histories must be needed especially for students in country sides, because they will assume the sustainable development in the most critical area for regional environment in near future.

 

Key words:local nature, natural environments, natural history, geology, time―scale 

  

1.はじめに

 環境教育の題材として、小・中学校の立地する学区の自然環境がよく取りあげられる。身近な地域の自然環境は、各個人をとりまくさまざまな生活環境や社会環境の基盤であり、まずこれを理解することが環境教育の基本とも言えよう。実際、自然を構成する要素(エレメント)である土、気候、水、森や林、生き物などを対象として観察や計測を行ないながら、周辺の自然(環境)の理解を深める教育的な取り組みが多くなされている。こうした取り組みは、これまでにも自然(科学)の教育として、理科や生活の授業実践例にも多く蓄積されてきた。しかしながら、自然環境とは自然を構成するいくつかの要素が複雑に連結・連動した総体であり、これをどのように捉えて題材としてゆくかについては、まだ定向性のない段階にあるのではないだろうか。これは授業実践の以前の問題として、概念や方法論としても、未だに十分確立していないことにもよるのだろう。

近年、地球環境の問題がクローズアップされてく―――――――――――――――――――――――

*宮城教育大学教育学部理科教育講座、**宮城教育大学理科

るにつれて、自然環境の捉え方の基礎をなす概念、すなわち自然観や地球観についても大きく変化しつつある。そうした中で、「循環」や「系・圏(システム)」をキーワードとした自然環境の認識が急速に広まり、新たな学問体系を確立しつつある(例えば、岩波講座『地球環境学』:高橋・加藤、1998)。しかし、自然環境の中での各システム間の循環の仕組みは、まだ科学的に十分解明されているわけではない。特に、地球規模のような大循環は、全地球の広い空間とともに長い時間を経て行われているために、その過程を把握することは容易なことではない。自然環境の循環における人類圏=人間活動の役割も、数量としてはまだまだ不確実で未知なところが多い。自然環境の循環サイクルの中での「負荷」あるいは「調和」の見積もりが不確定であることから、方策としての「持続的な発展」も、一方的に急変する自然環境への対応としては実質的ではなくまだスローガン的なものとして捉えられている傾向があり、それをステップとした次の段階である自然環境との

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教育専修、***中田町立上沼小学校

「共生」を概念として備えるにはまだ難しいところにある。

 こうした中で、どのように自然環境を認識し対応してゆくのか?について、環境教育として考えた場合、環境変化の時間というものに対する認識を積極的に組み入れてゆく必要があるのではないだろうか。残念ながら、こうした環境教育の実践例は少なく、旧来の自然構成要素を扱った自然教育の方法論の中でさえ、この点は欠落しがちであった。しかし、自然環境の変化をもたらす循環や自然構成要素間の連動は、人間の世代を越えた時間スケールで行われることから、総体としての自然環境の捉え方として、変化の時間を教えることは至極当たり前のことであろう。過去から将来にわたる時間スケールの視点が備わることで、生徒にとっては、近年の環境変化の問題が理解しやすくなるであろうし、また、歴史の浅い人間活動の及ぼす自然環境への負荷がわかり、これまでの人間が営んできた自然と「共生」する生活についても自ずと納得のゆくものとなるに違いない。

 上記のような問題をふまえて、長い時間スケールについての認識を深めるために、自然史的な観点から自然環境を捉えることとし、地域の自然の成り立ちを題材として取りあげた実践例を紹介する。

 この実践例は、宮城県主催の環境イベント「エコみやぎ ‘98 登米」の一環として、宮城県環境生活部環境政策課が企画した「大地の学校」ネイチャリングスクールで行った授業の内容である。これは、中田町立上沼小学校を会場として、「環境問題について楽しく分かり易く学ぶこと」を意図して開かれたが、実際に担当者として授業を計画して実施するにあたって、担当者としての地域の自然環境の把握、題材とねらいの設定、および授業の学習過程や野外観察の進め方などにおいて検討すべき点が多かった。こうしたことから、今後、再度実践するばかりではなく同類の授業実践の例として活用することを期待して、この授業内容について記録報告することとしたい。

 この題材の企画は上沼小学校(校長:渡邊 優、担当:熊坂昭子)が最初おこなった後、川村と協議の上で授業の計画をたてて、豊川と川村が授業案を作成した。授業の実施は、川村が校内での講義とフィールドでの指導を行い、豊川と上沼小学校教員がフィールドでの補助を担当した。報告をまとめるにあたって、運営を担当した宮城県環境政策課および中田町教育委員会の協力があったことを記して、お礼申し上げる。

 

2.上沼の自然環境

a.自然環境の概要

 中田町上沼地域は、宮城県の北東部に位置する(図1)。仙北平野の東縁の低地〜丘陵地帯にあり、東には北上川をはさんで北上高地の山々に面している。丘陵の中にいくつかの小高い山(ピーク)がみられ、人工林となっているが、丘陵斜面の下部には果樹などが栽培され、さらに低い平地には水田が拡がり、地形に応じた土地利用が明瞭である。集落は丘陵部の縁辺や自然堤防上の高まりに点在する。南流する北上川沿いには大規模な人工堤防があり、その背後や山間の圃場未整備のところには沼や湿地が点在し、大河の氾濫への防御や土地改良などの歴史が地勢として大きく現れている(図1)。

 上沼地域にみられる田園風景は、宮城県北の平野部にごくふつうのものとも言えるが、北上山地とも一部共通する地形と植生を丘陵内に含むことから、山間部の里山的な景観を合わせ持っている。加えて、この地域の景観をさらに多様なものとしているのは北上川の流れであり、川沿いの植生や生き物は独特な河川流域の生態系をなしている。こうしたこと から、上沼地域の自然環境は、山、丘、畑、田、川、沼 がすべてそろった県内でも数少ない自然環境に恵 まれた地域の一つと言える。

 上沼地域の自然環境のもう一つの特徴は、人工的な環境をかなり内包していることである。これは、丘陵地の開田や堤防によって改変された地形を多く含んでいることにみられる(図1)。しかし、改変後の土地利用については、例えば、北上川右岸の人工堤防背後に点在する湿地や沼(冠木沼など)が、現在、親水公園や釣堀などのアメニティーとしても整備されており、沼およびその周囲をビオトープ空間として現在も保全しつつある。神社や寺の森として保護されているピークの人工林(杉林)などとともに、人為的な改変を経てきた二次的な自然環境が多い。

b.上沼の地質

 上沼地域の地質については、地質調査所から5万分の1地質図幅「志津川」がすでに発行されており、添付の地域地質研究報告書(竹内・兼子、1996)から、周辺の地域を含めた地質の分布や構成岩相、および層序や年代などについて知ることができる(図2)。それによれば、上沼地域には、年代の新しい順(=より上位の順)に、

 1)北上川の自然堤防堆積物をふくむ現世の沖
    積層:おもに泥・砂・礫、

 2)鮮新世〜更新世の金沢層:おもに泥・砂・礫、

 3)新第三紀鮮新世の竜の口層:おもに砂岩や泥岩、

 4)中新世の石越安山岩:安山岩質火山角礫岩、

 5)ペルム紀後期の登米層:おもに頁岩、

 6)ペルム紀前期の錦織層:おもに石灰岩、 

が分布している。6)は上沼小学校のある八幡山に分布し、石灰石として採掘されているものであり、5)とともに東方の山稜から連続する南部北上古生層の一つである。3)と2)は長崎から北方の花泉町の丘陵部をつくるものである。4)は上沼中央小学校のある弥勒寺に孤立して分布する。6)の石灰岩にはペルム紀の代表的な示準化石であるフズリナ(紡錘虫)、ウミユリ、コケ虫などが含まれており、また、3)には貝化石が密集した層がみられる。さらに、花泉町にいたる丘陵には、貝@GA@02・@GA の遺跡が存在する。

 このように、上沼地域の地質は、狭い範囲ながら、時代をそれぞれ異にした地層がまとまって分布していることが特徴である。これは、この地域が平野と山地の境界にあたる丘陵に位置しており、その3者をそれぞれを構成する地層からなっていることとも関連する。北上山地は、中生代末期以後安定した陸域として存在し、周囲に土砂を供給していたと考えられている。南部北上古生層の上には西方の奥羽脊梁から続く中新世の火山岩が一部にかさなり、この両者が丘陵と平地の地層の基盤となっている。そして、丘陵や平地をつくる鮮新第三紀以後の地層は、貝化石や貝@GA@02・@GA の存在から、浅海で堆積したものであることを示しており、海水位の上昇や下降があったことを物語っている。また、平地の沖積層の多くは、大河である北上川の運搬・堆積営力によってできたものである。

 地質分布や層序および構成岩相や化石の内容から地史を描くことは、地質学的にきわめて重要であり、地域の自然史を構築する上で不可欠である。上記の上沼地域の現在の地質から、この地域の自然環境の変遷を歴史的(地史的)にみた場合、その成り立ちとしては、古い順から以下の7つのステージに分けて考えることができる。

第1期:ペルム紀前期

 低緯度地方?の暖かく浅い海域で、フズリナやウ
 ミユリが繁茂して、その死骸が集まって石灰岩が
 できた。 

第2期:白亜紀中期〜古第三紀

 北上山地の陸域の中にあった。 

第3期:中新世

 奥羽脊梁付近で噴火した火山から流されてきた土
 砂が地域まで達した。 

第4期:鮮新世前期

 海水位が上昇して、仙台方面から続く浅い湾が地
 域の南西方に拡がり、湾の縁辺に近い所にあった。 

第5期:鮮新世後期〜更新世前期

 海水位が低下して、再び陸域になった。 

第6期:完新世初期

 海水位が上昇して、丘陵やピークを除く一体が浅
 い入り江や干潟となった。 

第7期:完新世中期

 北上川が氾濫して多くの砂・泥をためて、入り江
 が次第に埋め立てられていったが、いくつかの低
 地には沼が残った。 

 

3.授業案

a.ねらい

  授業のねらいとして、当初、次の3点を考えた。

1) 身近な自然の一つである地域の地質について、
   実際に現地で観察し体感することを通じて、
   興味や探求心をいだかせること。 

2) 身近な地域の自然環境を見直すとともに、地
域に対する愛着心を育てること。 

3) 自然環境が長い時間をかけて変化し現在に至
っていることを理解し、より大きな時間と空
間の視野からものごとを考える素地を養うこ
と。 

その上で、2)や3)を通じて、地域や地球の環境

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

図1 上沼地域の位置図と地形図。上沼小学校(○
   印)と野外観察地点2カ所(△印)を示す。    
   地形図は、国土地理院発行5万分の1地形図
   「志津川」を使用。

 

図2 上沼地域の地質図。地質図は、工業技術院地質調査所発行5万分の1地質図幅「志津川」を使用。

 

 

およびその変化に対する感受性を磨くとともに、近年の環境の急変に対する問題意識をもつこと、などを伏線的なねらいとした。

 

b.題材の設定

 県内でも数少ないほどの恵まれた自然環境をもちながらも、これを地元のふだんの生活から実感としてとらえることは、いとも簡単に見えて案外難しいものである。いつも目にする山や丘などの景色がどのようにしてできてきたのか、それらがいったい何なのかは、やはり教えてもらって初めて知るものであり、教わらなければ結局はそのまま知らないままで生きてゆくことになる。

 地域には、いくつかの場所で多くの化石が発見されており、近くには貝塚などもある。また、石灰の山もあって、化石が多く見られるとともに、採掘されている。こうしたことから、昔の地域のようすを知り、さらにそれがどのように移り変わってきたのかを知ることは、生徒自身の故郷である地域の自然環境を見直し愛着と誇りを持つきっかけにもなる。とりわけ、現地での調査や観察などの体験は、よい機会となるだろう。

 そこで、テーマを「上沼の大地のおいたち」として、地域の自然の成り立ちを地質を知ることによって学ぶとともに、昔の環境を知る手がかりとなる岩石や化石を、実際に学区内の現地で観察して、体感することで認識を深めることとした。

 

c.学習過程案づくり

 上記のねらいと設定を受けて、対象生徒の学年と人数、時間、および後述の事前調査で把握した野外観察での制約などを考慮して、授業の学習過程案を作成した(付表1)。

 

4.実践報告

a.事前調査

野外観察にあたっては、必ず現地での状況を事前に確認する必要がある。授業実施当日の1週間前に、野外観察をおこなう地点の選定と、各地点の地質の観察条件や危険箇所などの点検および学校からのアクセスについて確認した。その結果、観察適地として、アクセスの容易な以下の2地点とした。

1)上沼小学校のすぐ東にある八幡山の鳥居付近。

 ペルム紀前期の錦織層の石灰岩が露出しており、
 中にフズリナなどの化石が多く含まれている。 

2)長崎地区の国道342号線沿いの土採り場。

 鮮新世竜の口層の砂層が露出している。中に貝化
 石が密集して含まれており、一緒にペルム紀登米
 層に由来する巻貝化石を含んだ礫なども産する。
 砂層にはサンドパイプ(生物の巣穴の跡)がみら
 れる。 

 この他に、八幡山頂部の神社や公園内に露出する錦織層の石灰岩では海ユリやコケ虫の密集が、小・の道路沿いに露出する石灰岩では明瞭な成層状態がそれぞれ確認された。また、長崎の東の整備された水田の切り割りには竜の口層が露出し、カキの貝殻などが散在しているのが確認された。

 

b.実施の内容

 ネーチャリングスクール「大地の学校」は、以下の日時、場所、および参加者で行われた。

・日時:平成10年10月27日(火曜日) 13:00〜15:30

・場所:上沼小学校多目的ホール

・参加生徒: 上沼小学校5・6年児童44名および同教職員

 授業は、開会行事の後、日程の確認(熊坂担当)をして、以下の順に行った。

1)講義(約25分間)

(導入)

 上沼の自然が豊かであることを紹介。

 上沼の土地のうち、八幡山、長崎地区の高台、田んぼ、みろく寺のうちで、一番古いところはどこか?という質問と挙手による答え。八幡山、みろく寺、長崎地区の高台、田んぼの順。

 現在の上沼の大地(地下の断面)のようすを紹介(OHP 使用)。

(展開−1)

 上沼で最も象徴的な八幡山の岩石について最初に紹介。

・石灰岩の古さ=約2億8千万年前にできた。

・石灰岩のでき方=過去の生物の殻や骨などが集まったもの。化石になっている。 

・石灰岩の性質=炭酸カルシウムからできている。これは溶けたり固まったりしやすいため、いろいろ利用されている。 

長崎の地層について紹介。

・500万年前の海でたまった地層で仙台の青葉山にも同じ地層がある。 

・貝(カキやハマグリなど)の化石を含む。 

田んぼの地質について紹介。

・昔(1万年前)浅い海だったところが、北上川の運んできた土でだんだん埋められていたところ。埋め立てられないで沼や湿地のままになっているところもまだある。 

(展開−2)

 ではこれらがいったいどのようにしてできてき たのか?

変遷のようすを古い順から5枚のOHPを使って紹介。 

(まとめ)

 上沼の大地ができるのに2億8千万年という長い時間がかかっている。

 このようにしてできた自分の土地をふるさととして誇りに思うとともに、愛着をもって大事にしていこう。

・そうした心で、地球や環境に対して接していこう。

2)野外観察の準備(約10分)と徒歩移動(約10分間)

3)八幡山の鳥居付近での野外観察(約30分間)

ペルム紀の石灰岩について、講義と関連させて説明(図3・図4)。 

・フズリナの殻が化石として多く入っていること。

・ハンマーで割れやすいことと希塩酸をかけると溶けること。 

・溶けて出てきた泡は、2億8千万年前に炭酸カルシウムとして固まった時の二酸化炭素であること。 

補足として、

 地下に固められていた炭素を現在燃やしていることで、空気中の二酸化炭素が次第に増えてきて問題となっていることを説明。

4)校内にもどり、バス・乗用車への分乗して移動(約20分間) 

5)長崎地区国道脇の土採場での野外観察(約20分間)

地層と含まれている貝化石について、竜の口層のできた当時のようすを説明(図5・図6)。 

・東の陸に近い浅い海底でたまったものであること。

・貝殻が大波ではき寄せられた後、流れ下ってきてたまったために、化石が密集していること。 

6)校内にもどり、整理のあと終了(約15分間)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

図3 野外観察1の地点(八幡山の鳥居付近)で、   図4 野外観察1の地点で、ペルム紀石灰岩の観

   ペルム紀石灰岩の説明のようす。           察と採取のようす。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

図5 野外観察2の地点(長崎地区国道342号線沿いの土   図6 野外観察2の地点で、貝化石の採取のようす。

   採場)で、鮮新世竜の口層の地層を説明するようす。

c.結果と生徒の反応

 当日は穏やかな秋晴となり、懸念されていた野外観察へのアクセスも、中田町教育委員会や上沼小学校教職員による配慮によって、移動がスムーズに行われたことにより、授業はほぼ計画通りに実施できた。

 講義では、上沼の地質やその成り立ちとして、高いところの山ほど古くにできたことを不思議に感ずる子や「石灰が人の骨と同じカルシウムならば食べられるのか」という質問を講義のあとで受けることもあった。話の内容は、かなり多くのものを含みすぎていたために、生徒には理解が不十分なままであったように見受けられた。ただし、長い時間をかけて上沼の豊かな自然ができたことの主旨は、おおむねつかんでいたように思われる。

 野外では、実際に講義で話した上沼の昔のようすを示す証拠となる化石や岩石を体感しながら知ることができた。実際、ほとんどの生徒にとっては、ハンマーで石を割ることや化石に触れることがはじめての体験であり、それが学校の近くのよく知っている山や丘でできたことで、岩石や化石に対する興味を覚える子もあった。しかし、石灰岩の溶解や化石のでき方などについては、あまり関心が示されなかった。これは、一般に、野外での説明では生徒の視点や集中力が定まらないことにもよる。むしろ、めずらしい形や色の石灰岩や大きくきれいな貝化石を採取することへとすぐに興味が変わってゆく傾向にあった。

 

 d.反省と今後の展開

  授業は、当初のねらいと計画を絞り込んでいたこともあって、ほぼ予想通りに終えることができた。しかし、生徒一人ひとりにとって、地域の自然環境に関する理解は進んでも、それが発展的なものかどうかに関しては疑わしいところも多い。これは、この授業がイベントの一環として行われたものであるために、担当者と参加生徒の双方にとって授業という意識が薄かったことによる。授業内容としては、参加生徒の学校での学習程度を十分把握せずに授業を行なったために、講義での紹介や説明に一部が難しいものとなっていた帰来がある。特に、最も重要と考えた時間(時代)スケールの把握は、単に数値を述べるにとどまらず、常套手段ながら、別の時間(または長さ)のスケールに例えて図示説明することが必要であった。また、授業の時間配分に制約があったこともあり、生徒の反応を十分に確認しながら授業が進められたとは言えず、やや一方的な面もあったことも反省すべき点であった。

 こうしたことから、たとえイベントの特別授業であったとは言え、生徒の理解を発展的に深めて当初の授業のねらいを確かにするために、授業内容を補足するメディアの利用を次の検討課題と考えている。具体的には、インターネットを利用して、授業内容の主旨である上沼地域の地質とその成り立ちについての内容(本報告の内容)を上沼小学校のホームページにおいて紹介し、生徒が自由に閲覧できるようにする。そして、不明な点があれば宮城教育大学の授業担当者へ直接問い合わせることができるようにしてゆきたい。

 

4.おわりに

 上沼地域は、前章に述べたように、平野と山間の中間でかつ大河に沿ったところである。それは、日本の原風景ともいえる里山と湿地−水田が残された自然に恵まれた地域であり、一方で、洪水という自然の怖さにも度々面してきた地域でもある。今回の実践例は、自然環境そのものを学ぶことを主眼としたが、これから行うべき環境教育の授業実践としてさらに、地域のさまざまな土地利用や人々のこれまでの生活などを題材として上乗せしてゆくことによって、人間と自然環境との関わりを学んでゆく必要がある。このことによって、文字通り、自然環境との「共生」について直接的に理解し考えることができるであろう。

 生まれ育ってきた地域の環境を学ぶということは、環境教育を担当する指導者の思惑とは裏腹に、生徒自身からみると多少当惑するところがあるようにも見受けられる。そうした傾向は、自然環境が失われている都会の学校よりも、むしろ自然環境に恵まれた田舎の学校で多くみられる。これは、後者の生徒が、あるいは、周りにごくふつうに存在する自然環境に鈍感になり、その価値を見過ごしてしまっているからかも知れない。しかし、豊かな自然環境の保全ということを考えた場合、今後も次の世代としてその地域に生活してゆくであろう彼らには、自然環境とその変化について特に敏感にしかも確かに認識するようになってもらいたい。そのためにも、特にこのような地域で環境教育を実践してゆくには、自然環境の捉え方にある程度の定向性と客観性をもった科学的な視座が指導者にも備わっていることが必要に思われる。

 地域の自然環境を学ぶことは、一見すると、当面している地球環境問題への対応としての環境教育からずれているように見えるかも知れない。しかし、地球環境問題のみを題材とした環境教育は観念的な部分を含むため、指導者に相当の信念があるとともに、生徒にもある程度の知識と理解力がないかぎり、授業内容の巾もせまく短絡的になりかねない。そのため、やはりある段階をふんだ教育が求められるのであろう。最終的に地球環境問題を自ずから考えるようになるためには、生徒の理解の進行にあわせて、身近な地域環境から次第に地球環境へと観る対象を広げてゆくことが必要であり、その際には、環境の変化の時間のスケールの観点が重要である。特に小学校では、情緒や感性を豊かにする中で、こうした観点を自然に備えてゆけるのが望ましいように思われる。

 

 引用文献

 高橋 裕・加藤三郎(編)、1998、岩波講座地球環境学1   現代科学技術と地球環境科学、 岩波書店、 pp.253。

竹内 誠・兼子尚知、1996、志津川地域の地質、地域地質研究報告(5万分の1地質図幅)、地質調査所、pp.93。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  付表1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

付図1 OHP―1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

付図3 OHP―3

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

付図5 OHP―5

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

付図2 OHP―2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

付図4 OHP―4

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

付図6 OHP―6