アジア太平洋環境教育ユースフォーラム講評


  回のフォーラムの参加者はすでに環境教育に関心を持ち,環境に過剰な負荷を与えてきた大量生産・大量消費・大量廃棄という連鎖をくい止めなければならないという共通認識があった。処理施設の見学では,最新設備や規模の大きさに驚く一方で,処理のための経費とエネルギーの問題を実感し,都市環境の現状を十分考えさせられた。ユース環境教育会議での議論の流れは,大量廃棄の問題に集まりがちではあったが,市民一人一人の行動が重要であるという共通認識を持てたようである。また,アジア各国の留学生からは,燃料として森林伐採をせざるを得ない現状,砂漠化,人口問題,都市への一極集中など,それぞれの国がそれぞれの環境問題を抱えている現状が話され,参加者には真摯に受け止められた。
  この会議では,大人の環境問題への理解度の低さや,社会人が環境教育を受ける場の少なさが指摘された上で,持続可能な都市のためには,幼い頃から環境に負荷の少ない生活習慣を身につけることが大切であること,また,年齢の進んだ子どもには,生産・流通・消費・廃棄の流れ全体を知り,地球上の物質循環を学んだ上で,環境倫理の形成が大切であることも指摘された。また,美しい自然に触れ,まず地球を好きになることが大切であることも指摘された。
 人間は地球資源や他の生物に依存しなければ生きていけないことを十分に知った上で,これまで文明を支えてきた科学を否定するのではなく,エコテクノロジーも含めた新たな発展も含めて,必ず環境問題を克服できるのだという信念のもてる教育が必要である。便利性を求める人間の醜さが強調され過ぎて,子どもたちが自分の存在を否定するようになってはならない。各自の実践と地域の連携が,環境負荷の軽減になることを知らせることも重要である。また,ここでは十分議論できなかったが,将来起こるかも知れない環境問題をいち早く見つけ出す能力の育成も環境教育では見逃せない視点であろう。
                                    
見上一幸 教授         
(宮城教育大学環境教育実践研究センター)

    回のフォーラムでは,主に環境教育の対象である領域と環境問題を実態としてとらえていく上での留意点を整理した。
 まず,自然環境との共生である。蒲生干潟での観察を通して,自然生態系の持つ浄化の仕組みを実感した。人工の浄化システムである下水処理場の見学と対比して,改めて人間社会が自然環境に負荷を与えていることと,それをカバーするための人工的な努力の必要性が認識された。次は循環型社会のあり方である。ごみ焼却工場の見学を通して,観念的に捉えられていたごみ問題が一人一人の問題として実感された。目の前で処理される大量のごみは,現実には個人の責任を痛感させる一方で,私たちの消費スタイルと生産体制のあり方に疑問を投げかけた。最後は自然環境との共生と循環型社会を目指した地域づくりのあり方である。芦口小学校の子どもたちと共に行ったワークショップを通じて,具体的な地域の中で環境と暮らしを考えることの有効性が示された。
 ユース環境教育会議では,これらの事例を通して参加者自身が環境問題に新たな関心と問題意識を持ったことが語られた。実際に体験することと,日頃の生活を角度を変えて考えてみるだけで,観念的に捉えられていた「環境問題」が自分の問題につながることが理解されるようである。フォーラムでの二日間の取組が環境教育の意味を示しているのだろう。また,留学生からは,日本の社会と暮らし,母国の抱える環境問題の特徴が語られ,各国の社会の特徴の違いが多様な環境問題を生み出していることが理解できた。次に,今後の環境教育の進め方について,環境問題をどう認識し,環境教育をどのように行うのか議論された。環境問題については,人工的な環境が人間の生産・流通・消費の過程で変化していくと認識することの必要性が提起された。環境教育については,家庭教育の役割の大きさが指摘されると共に,学校,地域社会,マスコミの役割も強調されていた。また,それぞれの年代に見合った環境教育が必要ではないかとの問いも発せられていた。
 今回のフォーラムを通して,環境問題をさまざまな角度から,繰り返し認識すること自体が環境教育の第一歩であることを確信した。
                                    
小金澤孝昭 教授    
(宮城教育大学社会科教育講座)