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研究論文

環境教育と高校地理教科書の構成
―日本と韓国の教科書における地球環境問題を中心にして―

小金沢孝昭*・南 m祐**

 現在、環境問題が地球全体並びに地域の問題として表れ、環境教育の重要性が増している。環境教育は、人間と自然環境との関わりを認識させることを1つの課題としているが、地理教育もまた同じパラダイムを議論してきた。本研究では、環境問題を正面から扱う既存の教科である地理の教科書が、どのように環境問題を取り扱ってきたかを戦後の教科書内容の変遷と現行の教科書内容に注目して検討した。具体的には、日本と韓国の高等学校で使われている教科書の分析を通じて地球規模の環境問題の取り上げ方を検討した。
 現行教科書を分析した結果、両国とも環境問題の用語・写真・資料は「世界の環境問題」や「国土開発と環境保全」といった単元にまとめて提示されていることがわかった。しかし、環境問題は、それが直接表れている地域や項目で議論されてはじめて生徒達の認識が深まるものなのに、教科書においてその点の工夫が十分でない。環境教育に対応した地理の教科書の編成の工夫も必要となっている。

キーワード:環境教育、地理教育、教科書、日本、韓国、高等学校

 

1.はじめに

 現在、世界各地で起きているさまざまな問題は国家の枠組みに関わる課題だけでなく、国境を越えて広がっている。その中で、全地球的課題として出現したのが環境問題であろう。国境を越えて広がる酸性雨や海洋汚染はもとより、地球温暖化やオゾン層の破壊は地球の一部の問題ではなくなっているのである。まさに現代、ひいては未来の人類の課題であり、その解決に向けて世界各国が取り組んでいるところである。
 一方、世界の環境教育の軸を成している会議は、先進国の公害問題を中心にした1972年のストックホルムの国連環境会議をはじめに、1975年のベオグラードの国際環境教育会議では人間と自然との関わりとして個々人により高い倫理性を求める環境教育として関心・知識・機能・評価能力・参加という環境教育の目標を示しており、1977年にはトビリシの環境教育政府間の会議、1987年の環境と開発に関する世界委員会では持続可能な開発が提案された。
 環境教育とは、「人間と自然との関わりについての理解と認識を深め、責任のある行動がとられるように国民の学習を推進すること」(環境教育辞典)、「人間を取り巻く自然及び人為的環境と人間との関係を取り上げ、その中で人口、資源の配分と枯渇、運輸、技術、都市と田舎の開発計画が人間に対してどのような関わりを持つかを理解させる教育のプロセス」(アメリカ環境教育)のようにその概念は国によって少しずつ違うが基本的に「人間と自然環境との関わり」を認識させるのは、どの国でも同じスローガンであり、それは古くからの地理学(教育)の基本パラダイムでもある。それ故、地理教育はどんな教科より環境教育に当てはまる教育内容を広範囲な領域にわたって取り扱っている教科といえる。しかし、今日の高校の地理教科が、果たして生徒に環境教育のインパクトを与えられるかどうかは疑問である。
 そこで、本論文では日本と韓国の高等学校で使われている教科書の分析を通じて地球規模の環境問題をどのように認識させ、環境教育を行って行くべきかを一つの提案として述べていく。2章で、教育課程の改訂による地理教科書の単元構成の変遷から環境問題をどのように認識して来たかを確認した上で、3章で、現在使われている日韓教科書の環境問題の用語や各種資料の内容などを通じて、地球規模の環境問題をどんな単元でどのように扱っているかを明らかにする。
 しかし、本論に入る前に、日本と韓国での社会科での地理の位置付けを確認する必要がある。両国とも一般的に地理は社会科の一部とされている。しかし日本では第6次改訂から社会科の再編成によって地理歴史科が成立したこと、教科書の内容は1,2次改訂の人文地理以降は大概、地理A・地理Bで日本と世界の事象を一つの本にしたこと、地理Aは2単位程度、地理Bは4単位程度で、学校によっては選択教科であることが韓国との大きな違いである。
 一方、韓国では現在まで社会科の一部であること、1・4次改訂を除いて、ほぼ韓国の地理の内容と世界の地理の内容を分けて2冊の本で構成されていること、韓国地理は共通必修科目で、世界地理の内容は人文系列の学生の選択科目であることが日本とは異なる部分である。したがって、この論文では教科書の内容面を中心にとして、日本の教科書は地理Bを、韓国の教科書は韓国地理・世界地理を一つのものとして分析することを前提にする。

表1 教育課程の改訂による高校教科書の単元構成の変化(日本)

 

2.教育課程の改訂による教科書の単元構成の変遷

 教科書とは「小学校、中学校、高等学校及びこれらに準ずる学校において、教科課程の構成に応じて組織配列された教科の主たる教材として教授の用の供せられる児童又は生徒用図書」であると定められている。即ち、教科書は学校教育において一番基本で中心となる教材であり、また教具でもある。その教科の目的や目標が達成できるように計画された教育課程に相応し、生徒が学習しやすいように書かれているものである。このような意味で、日本と韓国の現在までの教育課程の変化による教科書の単元構成の変遷を整理し、教科書で環境問題がどのように扱われてきたか分析するのは価値のあることだと思われる。ここでは、日本の場合には実際に出版された教科書の中で、改訂ごとに一冊ずつ選んで分析したが、韓国の場合は教育部(日本の文部省)が提示した内容で分析したことを前提とする。
 戦後、日本と韓国は両国とも現在まで第6次教育課程の改訂が行われており、高等学校は日本では1998年告示で2003年から、韓国では1997年告示で2002年から第7次教育課程が始まり、教科書が変わることになっている。教育課程の改訂はその時代の時代的・社会的背景と密接な関係がある。表1は日本の教育課程の改訂による高校の地理教科書の単元構成を示したものである。
 第1次教育課程の改訂は、戦後日本の地理教育の基盤を形成した改訂で、当時、人文地理の目標の中で「(4)自然環境を有効に利用するとともに、資源を養護する態度を養うこと」を見れば環境可能論を強調しながら、「(5)現代社会の地理的問題に対する関心や敏感性、さらに問題解決の能力を養うこと」のように問題意識を認識させることを目標としていたと思われる。しかし、その教科書の内容を見ると、環境問題として取り上げているのは「近代産業はどこでどのように営まれているか」の単元で、「近代工業の発達に伴う社会問題」としか扱っていない。このように当時は戦後、国家の経済力を上げるのが至急の課題であったため、生産活動を中心にした系統地理的に構成されていたことが分かる。
 そして開発に伴う社会問題(環境問題)を人間の生産活動と関連している単元に入れていることが、後で述べる韓国と違う点である。この傾向は2次改訂からも同じで、2次改訂では「原料の生産と工業―総合開発」、3次改訂では「資源と産業―国土の開発と保全」、4次改訂では「生産活動―国土の開発と保全」、5次改訂でも「人口と資源・産業―工業と環境問題」の単元で環境問題に触れて来た。
 単元の題名だけで判断すると、2次改訂では人口問題・食料問題は触れているが工業に伴う公害問題には触れていない。その代わりに総合開発という「開発」の単元が登場する。この用語から当時の経済成長と国家次元の開発要請を読むことができる。そしてこれは4次改訂まで続き、第5次改訂に迎えては1970年代から地球規模の環境破壊が国際的・社会的に人類の生存に関わる問題という声が高くなり、再び1次改訂のように環境問題を工業と関連づけて扱っている。即ち5次改訂までは可能論的立場で環境を開発の対象として考えて来たといえる。
 しかし1989年第6次改訂はいままでの教科書の単元構成とは違って環境を人間の生活舞台として認識し、また環境問題を世界(地球)の課題として認識し始めたと思われる。また1998年告示で2003年から出版される高校の地理教科書の単元として文部省が提示した内容では表1のように系統地理的に地理の要素を扱って地誌的立場で身近な地域から大陸規模の地誌の体系で触れた後、「現代世界の諸課題の地理的考察」の単元で文字通り現代の世界(地球的に)が抱えている多くの問題を地理的な見方で解決方法を探そうという内容で構成されると思われる。
 一方、韓国の場合は1次改訂の単元の内容を見れば分かるように、韓国戦争などの問題があり、日本より経済成長が遅れていたため、教科書の単元の内容を見ても分かるように、比較的環境問題の認識も遅れていた。表2は韓国の教育課程の改訂とそれによる教科書の単元構成を示したものである。
 韓国の2・3次改訂からは日本とは違って「国土開発」や「環境保全」の問題を一つの大単元として独立しているのが特徴である。しかし、それも主として韓国においての「開発と保全」の問題として認識している。それは韓国の経済や地域開発が至急の課題であったからだと思う。今日のように世界的な課題として環境問題が取り上げられたのは1987年の第5次改訂からであり、「人類の当面課題」「世界の課題と未来」の単元で扱っている。また、教科書でその単元の位置を表2から推測すると、ほとんどが教科書の最後の部分に偏っていることが分かる。これは6次改訂(第7次からは日本も教科書の最後の部分に入れている)までの日本とは違って、韓国と世界を分けて学習させる方針と関係があると思われる。これは韓国の地理教育において、環境問題を認識させるにはとても不適切な教科書構造であると思う。高校の授業は大学への進学試験を考えざるを得ない状況もあるので、教科書の最後の部分は時間に追われ、また、環境問題はある意味では常識だと思われていることから、適当に触れかねない恐れがある。
 しかし、2002年から始まる第7次教育課程では地理的分野(韓国と世界事象)と一般社会的分野を一つにした共通社会(全高校の共通必修科目)という科目で新しく再編されることになる。その単元の内容を述べれば「環境問題と地域文化」単元で環境問題の拡散、地域開発と環境保全、地域差と地域葛藤を取り上げている。そして教科書では先に地理分野を載せており、今までの環境問題の比重だけを考えた場合には、より強く問題化したことが分かる。しかし、社会科が細分化され、韓国地理、世界地理、新しく導入される経済地理が選択科目になることは、地理を採択しない可能性もあるので、高校での地理の比重が弱くなるという不安の声も高くなっている。一方、6次改訂までは韓国地理だけが必修科目だったので、地球規模の環境問題の例を世界的な規模で挙げるのが難しかったが、世界事象も共通社会に入れ替え、その弱点を補うことができるようになった。
 日本で環境教育が教育実践において、避けることのできない問題として取り上げられるようになった動機は、高度成長に伴う1960年代の公害問題であり、さらに1970年代から地球規模の環境破壊が国際的・社会的に人類の生存に関わる問題になってきたことによる。以後、公害に止まらず、より広く地球環境の問題が取り上げられるようになった。韓国では問題視されたのは日本より遅れていたが、地球環境問題がどの国でも避けられない至急の課題である限り、現在は世界の一部の国としてその解決に取り組んでいる。

表2 教育課程の改訂による高校教科書の単元構成の変化(韓国)

 

表3 教科書で扱った環境問題(地理B)

 

3.日韓教科書の環境問題の取り扱い方

 本章では、日本と韓国で現在使われている教科書の中で地理Bは東京書籍を、韓国地理は教学社、世界地理は普真済出版社の教科書を選んで分析する。まず、両国とも本格的に地球規模の環境問題を扱った部分の量は非常に少ない。日本の場合、教科書全体を構成している単元の平均ページ16.3ページに比べて環境問題単元である「世界の環境問題」の単元は12ページに過ぎない。これは韓国も同様で、韓国地理は「国土開発と環境保全」が9ページ(平均は12.2)、世界地理の「人間と環境問題」も12ページ(平均13.6ページ)に過ぎない。
 表3は地理Bで取り上げた環境問題を単元別に整理したものを示したものである。
 地理Bは四つの大単元に分けられており、「現代と地域」、「人間と環境」、「生活と産業」は系統地理的にアプローチしており、「世界と日本」は地誌的内容で構成されている。そして、環境問題を集中的に扱っている部分は人間と環境の中で、生活舞台としての自然環境や各気候地域の人々の生活を触れた上で、世界の環境問題を述べている。また、環境問題の用語も中単元である「世界の環境問題」や「持続可能な発展と日本の役割」に集中している。
 これは従来のように地球規模の環境問題を一つのtopicとして扱っている教科書の体系によるものである。そしてこのような傾向は韓国の場合も表4に示したように韓国地理では「国土開発と環境保全」に、世界地理では「世界の課題と未来」にまとめられ、日本とほぼ同じ体系になっている。しかし、それ以外の単元で環境問題を扱っている場合は、環境問題を扱っている場合は、環境問題の用語を並べているにすぎず、その問題についての詳しい説明はほとんど書かれていない。
 例えば、砂漠化の問題を取り上げて調べて見よう。地理Bの場合、「生活舞台としての自然環境」の「世界の様々な自然環境」で、「サハラを中心にする乾燥地帯」というタイトルの中で砂漠化を説明しているが、その内容は“サヘルの砂漠化は数十年周期で発生する異常少雨とともに、過度の放牧やまきを採集するための伐採など、人為的要因も重なって生じたものである。”としか書かれていない。そしてこれに関連している資料としては過去と近年の年降水量を比較したものしか使われていない。このような内容で果たして生徒が砂漠化の問題をどれくらい認識することが出来るか疑問である。そして砂漠化の問題は「世界の環境問題」の単元でもその用語だけを使っており、その説明も、資料等も使っていない。
 一方、韓国の世界地理は「世界の自然環境」で、砂漠化はもとより環境問題についてはまったく取り上げられていない。これは世界地理では系統地理的部分が少なく、地誌中心の教科書体系であることにも関係しているが、環境問題が自然環境の破壊から生ずる問題であることを考える限り、あまりにも貧弱な内容だと思われる。その代わりに、砂漠化の問題は中・南部アフリカで比較的大きな割合で取り上げられている。これはヨーロッパでの酸性雨問題やアメリカでの土壌侵食・土壌汚染問題を集中的に扱っているのと同じく、世界地理教科書が地誌中心なので、その地域の特性の一つとして環境問題を取り上げているものと思われる。
 このような傾向は環境問題を強調するために使われた資料でも同じである。地理教科書は他の教科書とは違って地図、写真、図表、統計等、多くの資料が入っているため資料的機能もあり、環境問題を認識させる視覚的効果がもっとも大きいといえる。環境教育の資料としての図は問題事項の変化、統計値等を示すことができるという効果があり、写真は問題現象をより身近に感じさせることができる。従って、図や写真を適切に使用することでより効果的に問題を示唆することができるといえる。そういう意味で、両国の教科書では、ともに酸性雨、森林破壊、オゾン層破壊、公害、海洋汚染、大気汚染、地球温暖化等、地球規模の環境問題について写真や図を載せているが、地理Bは特に「世界の環境問題」単元に集中していることが分かる。特徴的なのは砂漠化に関連した資料がまったく提示されていないことである。しかし、それ以外の地球環境問題については、その問題が発生した地域を中心として鮮明な写真と図が同じ位の比率で提示されている。これは適切な割合であると思われる。
 韓国地理は「韓国」という地域に限られていることもあって、主に韓国で現在問題になっている河川汚染や大気汚染、ゴミ問題等にしか触れられておらず、また主に図に偏って提示している。一方、世界地理では比較的多い単元で資料が載せられており、特に地誌的部分においては、その地域で問題になっていることを取り上げているが、自然環境の単元ではまったく触れられていない。そして韓国地理とは異なり、写真に偏って環境問題を認識させている。特徴は「世界の課題と未来」の単元で、酸性雨やオゾン層破壊問題をテーマ学習として取り上げて詳しく説明していることである。しかし韓国・世界地理は資料の面ではバランスが取れていないといえる。
 以上のように日本と韓国両国ともに教科書で地球環境問題とそれに関連する資料は環境問題を一つの独立した単元で集中的に扱っている。しかし、環境問題を一つの独立した単元で触れていても、日韓間において地球環境問題の認識の次元が違うことが分かる。即ち、日本の地理Bは、「人間と環境」という単元に世界の環境問題を入れており、既存の国土開発に伴う環境問題の認識から、人間生活の舞台としての環境問題を認識させている。しかし、韓国の韓国地理では「国土開発と環境保全」というテーマから分かるように発展途上国の立場でありながら、世界地理では「世界の課題と未来」から見ることができるように、人類の共通課題として認識しており、矛盾した立場を取っていると思われる。
 しかし、このように先進国の立場や発展途上国の立場は関係なく、地理教科は環境保全の項目が明瞭にうたわれており、その意味では、他の科目よりも環境教育を行いやすい。とはいえ、アフリカの乾燥地域の自然と人間生活についての体系的説明がないところへ、突然砂漠化の問題を持ち出しても理解は困難である。即ち、自然のメカニズムの十分な理解から自然と人間との関係を考えるべきである。例えば、ステップ、砂漠の環境とそれぞれの地域の人間生活に対して十分な記述をした上で、砂漠化の原因と対策が提示されなければならない。
 地球規模の環境問題は一つずつ独立して発生するのではなく、全体的要素が絡み合って発生するのである。地球環境のメカニズムそのものは、自然科学を援用して理解させる必要がある。勿論その自然環境に人間がどのように関わっているかを深く考察して、環境を人間社会の在り方や生活様式と関連づけて考察すること言うまでもない。現在の地球システムを維持するためには、自然環境の成り立ち、即ち、自然システムの理解が不可欠である。自然システムの理解は地球の放射平衡→熱収支→水収支→物質収支という流れの中で総合的に把握しなければならない。したがって自然の学習にも、より配慮すべきであり、環境問題を独立して学習させるではなく、自然環境のメカニズムとシステムを理解した上でその地域に住んでいる人間生活を理解させるべきである。環境問題は自然のシステムと人間社会のシステムが相互作用して発生する問題であり、フィードバッグ関係であることを理解した上でその解決策が模索されなけれならない。
 環境問題は人類の生産活動と消費活動の結果、自然に対するマイナスの影響として現れるのであり、前提として、生産活動、消費活動の理解がまず必要とされるのである。即ち、資源、エネルギーの学習があり、それを利用、消費する生産活動、つまり工業の学習があって、さらに一般消費生活として人々の生活の学習があるわけである。これらの社会・経済の仕組み、大量消費や国際的相互依存関係の経済的仕組み、いわゆる経済地理的分野(産業学習)を制限しては正しい環境問題の理解は望めない。簡単にいえば、環境問題は独立した別の単元に入れるのではなく、その環境問題が問題化されている地域で教えるべきだと思うのである。

表4 教科書で扱った環境問題(韓国)

 

4.おわりに

 日本と韓国の高校の地理教科書を比較・分析しながら、地球環境問題を教育するに当たり、より一層、問題意識を持たせるための方法などを記述してきた。その内容を整理すると次のとおりである。
 今日までの日本と韓国の教育課程の改訂による教科書の単元を分析した結果、両国とも時代的要求が変わるたびに、教科書の内容や体系や単元構成も変わって来ている。そして、現在、第7次教育課程の改訂による新しい教科書の発行を迎えている。日本の場合、最初は工業の発達に伴う環境問題から国土開発による環境問題、現在は人類共同課題としての環境問題という環境問題の認識の仕方が変わって来ている。韓国の場合も殆ど同じだが、二冊の教科書に分け、韓国と世界地域の事象を分けていた第6次改訂までは、韓国地理では、国土開発の立場から環境問題を取り上げていたことが日本との差である。しかし、両国とも環境問題は一つの独立した単元として取り上げているのは大きな共通点である。
 現行教科書を分析した結果、両国とも環境問題の用語や写真・図等の資料は「世界の環境問題」、「国土開発と環境保全」、「世界の課題と未来」という、単元の題名から分かるように一つの単元にまとめて導入・提示されていることが分かった。つまり、直接その問題が発生している地域や部分では、ほとんど触れられていないということである。それは、生徒にとって地球環境問題を直接それが発生している地域を触れている教科書の単元での教育を受ける権利・機会を失ってしまうことである。そして日本の教科書は環境問題を示唆する資料の種類のバランスがとれているが、韓国の場合はそうでないことが分かった。
 地球環境問題は一つずつ、各々の原因で発生するではなく、結局のところ、人間の生活様式や経済構造から発生する複雑な問題である。そうだとしてもまったく繋がりのないところで環境問題を説明するのは無理がある。したがって、教科書の単元の中でその問題が発生している部分(気候、産業、生活等)を触れる時、同時に扱わなければならない。このようなことから、熱帯林減少の問題は熱帯気候の単元、砂漠化問題は乾燥気候の単元、酸性雨や地球温暖化は産業の単元、都市・生活型公害は生活の単元にいれるべきである。

 この論文は小金沢と南の共同討議で作成した。執筆は南が担当した。

<参考文献>

 

* 宮城教育大学教育学部
** 宮城教育大学研修留学生(韓国 鶴翼高等学校)

 

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